東京OB会は、関東地区在住の西南グリーOB80名程で組織され、
2009年9月に開催されたグリーの創立90周年記念「グリークラブフェスティバル」
における単独ステージでの演奏を思い出される方も多いことでしょう。
  現在はその内の25名程のメンバーが、大久保バプテスト教会(東新宿)で、
毎月1回練習を行なっています。
昨年のシャントゥール定演における賛助ステージ"海・その愛〟にも有志が参加し、
「グリーOBメンバーズ'80~」合唱団を支えてくれました。
また、東京在住の福岡女学院OG合唱団「コール・クレール」とも交流を持ち、
本年9月24日に開催された同合唱団の演奏会に賛助出演を致しました。
今回は当日の模様を、送られてきたレポートをもとに掲出致します。
「西南グリー東京」賛助出演記
  かって「西南グリーのメンバーであった」その一点だけで集まった東京在住の元グリーメン30名が、
福岡女学院の東京在住OG合唱団「コール・クレール」の演奏会に賛助出演しました。
・ 日時:2011年9月24日 14時~16時
・ 場所:東京銀座「王子ホール」
東京OB会としても今後の試金石ともいえるコンサートでしたが、
世代もマチマチで日頃の親密感にも乏しい私達は、練習段階から技術的にも、
気持ちの上からもバラバラで、恐らく参加者の多くが不安を抱えたままステージに立ったことと思います。
しかし、私達はやはり間違いなく「西南グリーメン」だった。
本番のステージでは神様が手を差し伸べてくれたが如く、一致団結した西南グリーの姿をみせた。
練習ではまともに揃うことの無かった発音や、「ウボイ」のffがよく響いた。「さよならね」
のハミングも下がらない。数々の奇蹟がステージの上で起こるのを体感した。
会場の聴衆も身を乗り出すのがわかる。
ハーモニーの心地よさ・・・・私達が学生時代に幾度となく体感したことが、
今日のこのステージでも再現されたのだった。この瞬間から私達は「元グリーメン」の集いではなく、
「西南学院グリークラブ東京OB会」として誕生したのかも知れない。
福岡から離れた東京で、世代を超えた仲間同士が「よりよい音楽の提供」
を目指してこれからの活動を展開していきたい。
レポート・牧之瀬 雅明(87期)
「演奏会を聴いて」
当日会場にお見えのお客様からのアンケートから幾つかを・・・
- コンサートは大変楽しく聴かせて頂き、有難うございました。奥様方の趣味の域を出ないのかと思っていたのですが、結構イケていました。西南の応援も良かったです。
- 女声合唱の中の男声合唱で、グリーの存在感がありました。同じものを聞かされると飽きてしまうものですが、「君といつまでも」は楽しかった。幸せだなーの台詞のところでは、周りの人が爆笑していた。「ウボイ」は男声合唱に相応しい曲と感じた。
- 「ウボイ」がよかった。関学か何処かの大学グリーが歌っているのを聞いたことがあるが、いい歌だったのでメロディーが何となく記憶に残っていた。数十年振りに西南グリーが歌うのを聞くとは、想像もしなかった。
- とても素晴らしい演奏会だった。「斎太郎節」は東北の人々への慰霊になったのではと思います。
|
・・・一般聴衆より
- 皆様のお陰で無謀な計画のコンサートを無事に終わることができました。
西南の皆様のステージで私どものコンサートが、より楽しいものになりました。
男声合唱の響きは心に大きく響きます。皆様お忙しい中をご協力頂きましたこと、心から深く御礼申し上げます。
打ち上げも楽しかったです。同郷の良さをしみじみ感じました。
荒谷先生も最後までご同席下さり、嬉しゅうございました。
また機会を作りましょう!こんなコンサートが福岡で出来るといいですね。
- 今回のコンサートはお蔭様でとても好評でした。皆さんから「とても楽しくて、いいコンサートでした」とおっしゃって頂きました。ある方は
西南の歌を聞いて、福岡の香りを感じ、とても懐かしかった・・・と。
打ち上げも盛り上がって楽しかった。とにかく大成功のコンサートが出来て嬉しかった。
|
・・・コール・クレールの皆さんより
当日会場にお見えになった荒谷俊治氏は以下のように話されました。
「イヤー、ありがとう、ありがとう。感動して涙が出ちゃったよ。
西南グリー独特の柔らかい音色を久し振りに聴かせて貰って懐かしかった。
昔聴いた頃よりも、少し堅い声も混じっていたように思うが、充分に柔らかい音で、
あの音はどうしても九大では出せなかった。」
「合同混声合唱も、男声は後ろに並んでいたのに、大変良いバランスで素晴らしかった。
西南は、十分に賛助の役割を果たした良い演奏だった。」
|
「演奏会出演に当たっての東京OB会の考え」
今回の有料演奏会出演は、時期尚早との考えもあると思います。
態勢が整うのを待つのもひとつの賢明な判断かも知れません。
しかし私達東京OB会の場合を考えれば、待てばその好機がやって来るとも思えません。
少し背伸びでも果敢に挑戦して初めて皆の意識が向上してくるのではないかと考えました。
失敗すれば女学院の方々に迷惑をかけることにはなるが、この際、
初体験としてひとつのステップを登ろう。貴重な経験を積む絶好のチャンスだ。
- 男声合唱を存分に楽しむことが出来た。皆と歌うのはとても気持ちが良い。
久しぶりのステージだったが、学生の時と同様にやり遂げた達成感があった。
可能な限り練習に出席し、ステージに乗れれば良いなと思った。
- 西南グリーを卒業して長年の歳月が流れたが、やはり「Ah,Seinan」を歌った瞬間に、
自分の中に眠っていた男声合唱の喜びが、そしてあの西新での青春時代が蘇って来るのを感じた。
ОBの皆さん方は流石にレベルの高い方々が多く、出だしやエンディングがピタッと決まる瞬間は、
歌っていて格別の感が有りました。現役時代のように暗譜は難しく感じられるが、
ダイナミックスやハーモニーはまだまだ高いものを追求して行けるという自信を与えられた。
これからも慰問や交流等、演奏の機会が適度に増えていくことを願っています。
|
・・・演奏会終了後のメンバーの感想
「もう少しコメントを・・・」
-
西南グリー東京は、女声合唱の後に入るタイミングなので、私の近くの客席の皆さんが迫力に圧倒されて、
Ah,Seinanの後「オ~オ~」とどよめきが少し起きた。
後ろのおばさまからは「いいわ~、懐かしいわ~、久し振りに昭和を感じる歌声を聴いたわ」
との声が聞こえた。曲ごとに拍手が起きたが、あれは自然に出た称賛の現われで、
素直に受け取って良いと思う。
特に「ウボイ」は素晴らしい響きでした。練習時間が十分とれていないのに、
今回のような素晴らしいステージが出来るのは、やはり個人のレベルの高さを
感じた。コール・クレールの演奏も、練習の成果が十分出ていて素晴らしい合唱でした。
-
グリーOB皆さんのコーラス、当初少し心配していたが、意外と上手く会場の
反応も良く嬉しくなった。それに何と言ってもコール・クレールにとっても、
グリーOBがあったからこそ演奏会全体が活きたように感じられた。ちょっと
欲を言えば、言葉がもう少しはっきりすれば尚良かった気がする。
終演後のパーティも楽しかった。高校時代に抱っこして遊んだ赤ん坊が、今や
福岡女学院の音楽教師ということもあり、女学院のお姉さま達とも会話が弾み、
楽しいひと時であった。いい一日を有難うございました。
|
・・・グリーOB
-
とても素晴らしいステージでした。心地よくもあり、はっとしたり、鳥肌がたったり、
感激したり、私にとって良い時間を送ることができました。
東京OBの一関係者として、誇らしく思いました。
-
荒谷先生の隣に座っていました。厚かましく先生にご挨拶したら、
「さよならね」には感激して涙が出ましたと述べられた。
College Songが一番良かった。歌いだしたら会場の雰囲気がピリッと一変した。
コール・クレールに比べるとさすがにグリーはボリュームがあった。やはり男声合唱はいい。
|
・・・グリーOB家族
「そして出演者は・・・」
-
あのような立派なホールで、しかも非常に洗練されたレベルの高いコール・クレールとジョイントできて感謝している。
このような素晴らしい演奏会にあまり十分な練習もせずに参加してしまったが、
次回このような機会がある時には、しっかり準備をして臨みたいと思う。
-
グリーOBの賛助は身贔屓ながら相当好評だったようだ。
荒谷先生は会場にも、打ち上げにも出られて感激だった、演奏会を通じてОB会のコミニケーションが深まった。
-
戸山での追い込み練習と指揮者による強弱のメリハリが功を奏し、
チームワークや迫力では女学院OGの合唱に引けを取らなかったと思います。
女学院のソロ組は別格で素晴らしかった。東京グリーのフオルテッシモはGood。
繊細なピアノ、ピアニッシモの練習を重ねればなお良くなると思われます。
-
戸山ホールでの前日練習では、これで演奏会を迎えるのかと不安があったが、
演奏会当日の王子ホール練習では、皆の気持ちが一気に盛り上がった。
これでステージに立てると思った。家族や友人は異口同音に、良かった、
素晴らしい演奏会だったと言ってくれた。コンサートが満足いったとの快い疲れが残った。
-
コンサートでは盛大な拍手を貰い、打ち上げでは荒谷マエストロから薫陶を頂戴し、
興奮冷めやらぬ感じで日曜を過ごしたが、翌週通勤電車で出社すると、
すっかり現実に戻ってしまいました。残念。
|
東京OB会は11月6日(日)にも、品川バプテスト教会でのミニコンサート
に出演しました。その模様は追ってご紹介させていただきます。
愛唱歌「さよならね」にまつわるエピソード
演奏会の最後に西南グリーが「さよならね」を歌い始めて50年が過ぎる。
シャントゥールの演奏会のエンディングも「さよならね」である。
ステージ上でライトの暗転と共に「それではね~え、さようならね、さよ~ならぁね~」と歌い終わると、
それまでの緊張が一気に解けたことを思い出す。
この歌の作詞は加藤省吾氏、作曲は中田紳一郎氏であるが、今回、
東京OB会の「コール・クレール」賛助出演がとりもつ縁で、
編曲者の荒谷俊治氏と交流の機会を得ることが出来た。
その折の様子を、東京OB会の山口弘史(60期)さんにお寄せ頂いたので掲出する。
西南学院グリークラブ東京OB会は、去る2011年9月24日(土)、東京・銀座の王子ホールに於いて、
福岡女学院OG合唱団「コール・クレール」の演奏会に賛助出演した。
西南グリー東京の演目は、Ah, Seinan他6曲、最後は「さよならね」で締めくくった。
当日は、「さよならね」の編曲者である荒谷俊治氏が来場されたので、歌う前にこの曲の解説をし、
演奏後に拍手のなか荒谷氏を会場の聴衆に紹介した。
「さよならね」は、西南グリーにとって思い入れの深い曲である。
しかしながら、その割には、多くの人が曲の由来を知らないようなので、
この機会に記憶をたどりながら紹介する。
今から約半世紀前の1958年、当時学生指揮者だった徳永和彦氏が東京の荒谷氏を訪れて、
西南グリーの為の編曲を依頼した。荒谷氏は、これに呼応して、
6曲から成る日本童謡メドレー集を編曲した…
通りゃんせ、青い目の人形、待ちぼうけ、みかんの花咲く丘、汽車ポッポ、さよならね。
これらのメドレー曲は、多くの演奏会で歌われたが、中でも取り分け「さよならね」は好評であった。
そこで、「さよならね」だけを取り出して、演奏会の最後に歌うようになった。
しかし1番と2番の歌詞だけでは曲として短過ぎたので、
編曲の原譜にはなかったが1番と2番の間にハミングを入れ、更に、
後半のメロディーは口笛にしようということになった。
Baritoneメロディーがハミングでは不鮮明であったからである。
余談ながら、口笛の初回演奏は、私、山口弘史が担当したのであるが、
それが大失敗!リハーサルでは順調であったが、本番では緊張で唇が硬化して音にならずにピョロピョロ。
次回から各パートから1人づつ、合計4名の口笛奏者を準備した。古き良き思い出である。
「さよならね」は、1991年2月に東京芸術劇場で開催された「福永陽一郎追悼演奏会」でも歌われた。
この追悼演奏会には、福岡から学生西南グリーが駆けつけたが、その時に、
彼らもハミングと口笛を加えていると聞いた。
「さよならね」の誕生以来、西南グリーが同様の歌い方を引き継いでいる事に感動した事を鮮明に憶えている。
荒谷氏来聴の王子ホールでの演奏では、口笛の代わりにハーモニカでメロディーを奏でた。
ハーモニカは素朴且つ幾分物悲しい響きを醸し出した。
終演後、氏の評は「ありがとう、感動して涙が出ちゃったよ!」が第一声であった。
荒谷氏は、どう言う訳か「さよならね」の楽譜を持っておられないと言う事であったので、後日、
東京町田市の荒谷邸に届けた。訪問の際、荒谷氏と1時間30分余にわたり面談することができた
(68期川島清氏同行)。
以下はその時の要約である。
「さよならね」の楽譜は、福岡大学グリーが欲しがっていた。
「さよならね」は西南グリーからの委嘱作品なので西南グリーに話しなさいと返答した。
その後、福大グリーも歌っていたので、西南グリー経由で渡ったのだと思う。
荒谷氏は、一ツ橋大学アカデミーを5年ほど指導したことがある。
その時に、西南グリー向けに編曲した「さよならね」を思い出しながら新たに楽譜を書いた。
一ツ橋版も西南版とほとんど違わないと思う。
西南グリーの「さよならね」は、昔、グリーから送られてきた録音テープを聴いたことがある。
昔聴いたの、あの西南グリー独特の柔らかな声は大好きであった。
九大コールでも努力したが、あの音色はどうしても出せなかった。
今回久し振りに西南グリーの合唱を聴いたが、伝統の柔らかい声は生きていた。
少し堅い声も混じっているようにも感じられたが、演奏は良かった。
その他、荒谷氏の師匠であった石丸寛氏の思い出、現在の仕事内容、音楽界の裏話なども気さくに伺った。
東京在住ならではの貴重な経験であった。
山口弘史
西南グリー東京、60期
|
|