男声合唱組曲「中也の雨衣」を作曲して
多田 武彦
   2010年の夏、「西南シャントゥールは今年の12月4日の定演で組曲・富士山を歌う。
都合が良ければ、ご来聴頂きたい」とのご案内をいただいた。
  しかし、今年80歳になる私は、「生来虚弱体質の上、
ここ数年怪我や加齢現象による体調不良に悩まされ、主治医から
「長距離移動・長時間の観劇・指揮・講演等」を禁じられていたので、已むなく、
演奏会への参上はご辞退申し上げた。
  尤も、自室に籠もっての作曲活動は許されて、ここ5年の間に十七の男声合唱組曲を書いた。
余命幾許もないと、一作品ごとに「これが絶筆」と自分に言い聞かせて、
恩師・清水脩先生(故人)からの薫陶通り「起承転結・喜怒哀楽・花鳥風月・春夏秋冬」
に満ちた日本近代詩に題材を求め作曲していった結果、今まで以上の枯淡と芳醇に満ちた作品が生まれた。
  このようなことをお話していた処、十数年振りに、西南シャントゥールから、
新曲の委嘱を賜った。前二回は北原白秋先生の詩により、1993年に「柳河風俗詩・第二」を、
1996年には「三崎のうた・第二」の男声合唱組曲を作曲したが、
いずれも西南シャントゥールの名初演によって爾後、多くの男声合唱団によって愛唱されてきた。
今回は中原中也先生の詩では、とご相談したところ、快諾を得た。
中原中也先生の詩に初めて接したのは私が旧制大阪高等学校のとき。1947年、
運良く旧制中学4年から大阪高等学校へ進学出来たものの、同期の大半は旧制中5年卒業の俊秀たちで、
私は自分の学力の劣性を痛感させられた。当時国文学担当の犬養孝先生(故人・万葉集研究の大家)
が教え子カウンセリングもされていて、相談に行くと、
私が日本歌曲の作曲の真似事を始めているのを知っておられた先生は、
以下の詩人の詩の熟読を奨められた。北原白秋・草野心平・中原中也・堀口大学・
立原道造・三好達治・尾崎喜八などの諸先生の詩に感動し、勇気づけられたことは言うまでもない。
(これら諸先生の詩による男声合唱組曲は、私の作品の八割以上を占めている。
中原中也先生の詩による男声合唱組曲は
「在りし日の歌」「中原中也の詩から」「冬の日の記憶」「中原中也の詩から・第二」「中也の四季」
の五作品)
「ご家族のご不幸やご本人のご病気の中を、常に自然や人生を直視しつつ試作を続けられた先生の詩人の魂」
に私はしばしば涙し感動し続けたことを、今も忘れない。
  今回、改めて全詩集に目を通す内に、雨の様々な態様についての中原中也先生の詩に惹かれた。
そして先生がお召しになった雨具を通して、雨の様々な態様を描かれたものと私なりに推測し、
男声合唱組曲の標題を「中也の雨衣」とさせていただいた。
こうして機会を与えて頂いた西南シャントゥールの諸兄に、厚く御礼申し上げると共に、
西南シャントゥールの益々のご隆唱を心からお祈り申し上げる。