西南学院グリークラブ創立90周年記念グリークラブフェスティバル 特別寄稿





  
感動の3時間、現役とОB270人の歌声が響き渡った
創立90周年記念「グリークラブ・フェスティバル」
吉田 浩(アートライター・63期グリーОB)


  「Ah,Seinan!Dear Seinan」
2009年9月19日午後、新装成った西南学院大学チャペルに、溌剌とした歌声が響いた。 ステージからはみ出んばかりの現役とОB270人による雄叫びのような力強い声。 第2次大戦後、西南グリーを再建した故石丸寛さんの顔が浮かんだ。 「シャントゥールの45周年(だったと思う)を振るんだ」と嬉しそうに語った表情だ。 生きていれば指揮姿を見るか、肩を並べて並んで聴くことができただろうに・・・・。

  そして「She Wants Brave Noble Men」
ミス・グレーヴスのメガネの奥の物静かで優しい目を思い出す。
  創立90周年を記念する「グリークラブ・フェスティバル」の開幕だ。
59期以前卒、そして60期以降は10年単位のメンバーが各々ステージを持ち、 休憩後は一時は0になった部員が6人にも増えた! 現役とОB有志、東京OB会、西南シャントゥール、そして最後は全員合同の合唱で3時間の フェスティバルの幕を閉じた。
  チャペルの前には開場を待つ人の長い列ができて、往時のグリーを愛する気持ちが 伝わってきた。感動しっぱなしだった3時間のステージを報告する。


1.59期以前
Gaudeamus(ドイツ学生歌)、希望の島(ジョーンズ作曲)、カチューシャ(石丸寛編曲)

  内海洋一さんはなんと42期生(年齢は計算して下さい)。ОB会々長の刀根亨一さんは48期。 35人の内若い人で70歳代半ばという驚くべきオールド・コーラス。 柔らかい声でハーモニーの動きがスムーズ。
  丁寧な演奏はかってのグリースタイルを想像させた。「カチューシャ」は石丸さんが 東京のロシア大使館で採譜した曲。ズムズムのリズムに乗ってテナーが若々しい声を聴かせた。


2.60〜69期
Miserere(アレグリ作曲)、Lord, IWant To Be A Cristian(三沢郷編曲)、野ばら(ウエルナー作曲)

  70歳代半ばを年長にした年代。60人程も集まったのにびっくり。
合唱コンクール全国大会で上位入賞を続けた時代の人達だけに、コーラスへの愛着が 強いのだろう。この年代の合唱団は低音(特にべース)が弱いのが通例だが、 たった10人程のベースがよく頑張って全体のバランスが良い。 練習指揮者、本番の指揮者共に声を引き出す能力が有るようで、充実した演奏を聴かせた。 コーラスの基本は「声」であることを再認識させてくれた。
  Miserereは1961年に全国大会で2位になった曲。名古屋で歌ったあの時、 モリケン(森脇憲三)さんが西南を5位でなく、清水脩さんや畑中良輔さんと同じ 1位に入れておれば、関学グリーを抑えて優勝だった。 後に飲み友達になったけれど、あの時のモリケンは憎らしかった。 その時ステージに上がった人達を含むグループだけに、欲を言えば、 もっと緻密なハーモニーが欲しかった。


3.70〜79期
柳河〜男声合唱組曲「柳河風俗詩」(多田武彦作曲)より、雨〜男声合唱組曲「雨」(多田武彦作曲)より

  大先輩の福永陽一郎さんが10年間に定期演奏会を6回も振って、実力が大幅にアップし、
初のアメリカ演奏旅行を経験した羨ましい世代だ。
  前の2グループより10歳若いだけに声が格段によく出る。音域に無理が無い。 多田節であることを割り引いても声の魅力は大きい。 そして厳しい練習を重ねてきたのが明らかに分かる充実した楽しめる演奏だった。 アマチュアの音楽グループは、良い指導者と練習量で決まることを再認識させた。


4.80〜89期
斎太郎節(宮城県民謡・竹花秀昭編)、見上げてごらん夜の星を(いずみたく作曲)、Ride the Chariot(ヘンリー・スミス編曲)

  2回目、3回目のアメリカ演奏旅行をし、ボランティアで施設を慰問したり、 コーラスの普及にも力を入れた世代。
  斎太郎節は溌剌と若々しく、「見上げて・・」では一変して甘い声を聴かせ、黒人霊歌 はアメリカ遠征の賜物なのか、英語の発音も鮮明で聴き手を十分に満足させたようだ。 「これ程声が出て、よく歌えるのならば、遠慮せずに少々ケチもつけたくなる」と言う 声も聞かれた程の演奏だった。


5.90期以降
Aura Lee(プールトン作曲)、梅雨の晴れ間(「柳河風俗詩」より・多田武彦作曲)、故郷(岡野貞一作曲)、君といつまでも(弾厚作作曲)

  部員が100人を越える時期があったという世代。その後にメンバーが急減したのは 何故なのだろう。
  メンバーが若いだけに声が良く出るし、溌剌として小気味良い。これ程だと 「そんなに怒鳴るな」「第4回のアメリカ遠征も経験したそうだが、そんな英語でよく アメリカで通じたな」と文句も言いたくなる程の、良く声が出て充実した好演だった。


休  憩

6.現役グリーとОB有志
You Raise Me Up(ロヴランド作曲)、Ave Maria(J・S・バッハ作曲・グノー編曲・石丸寛編曲)、歌の翼に(メンデルスゾーン作曲・石丸寛編曲)

  いよいよ現役が登場。先ず6人の現役だけで、YouRaise Me Up。かなり太めの トップテナーが美しい声を聴かせて、会場から大きな拍手を受けた。 これまでのどのステージより大きな拍手。ОB達が控えの席から熱狂的に声援を送る。 いったんは部員が0になって悲しい思いをしただけに、グリーの再興を願う気持ちが 表れている。あとの2曲はОB10人の応援を得ての演奏だった。
  6人はステージで個別にインタビューを受けた。入部のいきさつをを聞かれ、 「先輩達から中華料理店に連れて行かれたから」が圧倒的に多い。再興のためにと私共が 寄付したお金は、どうやらチャンポンや八宝菜に化けたものらしい。勧誘に努めたОB達に 感謝!
  第2次大戦後、イシカンさん(東京ではマルカン。九州交響楽団を創立した 石丸さんが上京した時、既に作曲家の石井歓さんがイシカンと呼ばれていた)が 西南グリーの指揮者に招かれた時は「8人程がオキアガリコボシを2部合唱していた」という。 その時とあまり変わらない人数だ。諦めずに、力強く前に進んで欲しい。 ОB達の熱烈な拍手にはそんな願いが込められているのだ。


7・東京OB会
男声合唱のための唱歌メドレー「ふるさとの四季」(源田俊一郎編曲)より、われは海の子(文部省唱歌)、村祭り(同)、故郷(岡部貞一 作曲)、Down By the Sally Garden(アイルランド民謡・パーカー&ショウ編曲)

  広い東京で、職場では重責を担っている人も多いだろうに、練習に集まるのは 大変だろう。それなのに今回、40人もが福岡のこの会場に駆けつけてステージに立ったのには たまがった。髪が白くなったり薄くなっても、カナリヤであり続ける男達に乾杯。
  全員が直立不動の昔日のグリークラブ・スタイルを崩さず、端正な演奏を聴かせて くれた。


8.西南シャントゥール
男声合唱曲「島よ」(大中恩作曲)

  シャントゥールは1954年の創立だから、今年は55周年を迎える。
定期演奏会を続けているだけに、にわか仕立ての他のグループとは違い、練習量も多く レベルもかなり高い。徳永和彦さん(61期)の指揮が、叙情と躍動感を引き出した。 平均年齢が高くなって(67歳位か)低音部が弱いのが心配された時期があったが、 この日はその心配も吹き飛ばし、充実した音楽を聴かせてくれた。


9.合同合唱
The Song of the Sooldier〜いざ起て戦人よ(マクグラナハン作曲)、ふるさと(磯部俶作曲)、男声合唱組曲「月光とピエロ」(清水脩作曲)よりピエロの嘆き、月光とピエロとピエレットの唐草模様

  合同合唱の練習は、記念式典と昼食が終わっての45分だけ。西南シャントゥールの 指揮を長年続けたベテランの内海敬三さん(54期)とはいっても、たった45分で 本番とは少々やばい。指揮棒が何度も止まり、注意の声が飛ぶ。音楽に関しては 妥協のかけらもない内海さんの苛立ちが伝わってくるようだった。
  しかし本番に強い西南グリーの伝統は生きていた。「いざたていくさびとーよ」と 270人の男達の怒涛のような声量が、聴衆席を圧倒した。「戦人」は戦前、ドイツから アメリカに渡った歌詞を西南学院教授の故藤井泰一郎氏が日本語に訳し、西南グリーが 歌っていたのが全国の男声合唱団で歌われるようになったとのこと。 西南から発した貴重な曲である。
  「ふるさと」の柔らかいハーモニーに続いてピエロ。内海さんの繊細な腕と 指の動きに導かれて清水脩の叙情を見事に歌い上げる。 途中で「ヤバッ」と冷汗が出かけたが、すぐに立ち直りクライマックスの 「ピーエーロー」で大きな感動を作り上げた。これも伝統だ。


記念レセプション
  終演後は会場を西南クロスプラザに移しての記念レセプション。 ビールやワイン、ウイスキー、焼酎を飲んで、食って旧交を温め合った。
私にとってこの日は「同じ阿保なら歌わなソンソン」を痛感した一日だった。


以上